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大阪豊中、ブラジルコーヒーの店「Cafe do BRASIL TIPOGRAFIA」のブログ。メニューやお店情報、ブラジル、音楽、ジャズ、コーヒー、焙煎、映画、活字等、毎日更新!

編集

今日は映画における編集のお話。

ずっと映画を観てきたが、商業映画における実務分担の具合が良く分からない。
スクリーンに写される作品のひとつひとつのカットを繋ぎが
果たして誰のによって決定されているのか?

そもそも一番最初に脚本がある。
それを美術や照明、衣装、役者、特殊効果などが具現化した世界を
撮影(カメラマン)が切り取る。
架空の世界を時間を軸に構築するトータルな管理者が監督であろう。
フィルムであれ、デジタルデーターであれ、
素材の断片を切り貼りしていく編集という専門職がいる。
あるカットを別のカットと場面やタイミングを考慮して繋いでいる。

劇映画でもこの繋ぎのリズムの悪い映画がある。
単なる生理的なものだろうが、
カットのつながりが身体が求めている映像の流れとが合わずにギクシャクすることことがある。
これは編集担当者の技術の未熟さや失態と一方的に攻めてよいものだろうか?
そもそも映画によっては絵コンテなるものも存在するだろうし、
ショットの長さ(長回しあるいはカット割り)は監督の演出領域だろう。
時折、リズムに乗り切れないうっぷんを「誰の責任なのだ!!」と責め叫びたくなる。

常々勝手に主張していることがある。

      映画の編集は音楽におけるリズムセクション

という空論。
どちらも流れを支える基盤。
音と音を、映像と映像をひとつの流れに基づき紡いでいき、
全体を大きな塊としてまとめあげる。
観客はリズムが悪いと音にも映像にも乗り切れない。
そのため共に技術的な側面を有する。
映画ではモンタージュ理論、音楽では拍子といった文法が存在する。
当然上手い、下手という技術者としての優劣もあり、
テクニックの見せびらかしといった技術のための技術もある。
例えばゴダール「勝手にしやがれ」で多用された文法違反のジャンピングカットなど。

でも一つだけ言えることは、
本当に素晴らしい編集やリズムセクションは存在することを意識させないということ。
巧みに紡がれた映画の物語を全身で感じている時、
人はいちいち編集がうんぬんなどと考えない。
同様に音楽に入り込んでいる時、ベースやドラムうんぬんなどと考えない。
究極の技術は裏方に徹していながら、実は観客をコントロールするもの。
終わって初めて素晴らしさを思い出すのだ。

劇映画でも冒頭で編集のリズムに乗り切れないと嫌悪を感じた場合
最後まで齟齬を感じたまま終えることが多い。
特にタイトルバック前後のオープニングの繋ぎは、
作品全体へのつかみ(枕)として最も肝心なパートである。
客電が落ち、CMや予告編を経て、本編が始まる。
この時の張り詰めた緊張感をどう作品へ引き込むかは、
センスや技術の見せどころの様な気がする。

余談だが、最近ネットで見受けられる「冒頭映像10分間そのまま配信」
などという戯言は問題外である。
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プロフィール

TIPO

Author:TIPO
大阪豊中、ブラジルをコーヒーと音楽で楽しむ店“Cafe do BRASIL TIPOGRAFIA(チッポグラフィア)”の店主(と時々連れ合い)。2005年12月に開店して以来、気合で毎日更新中。果たしてどこまで続くのか意地になってます。

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