
文庫化されてから読んでいるので、いまさら感はあるがめっぽう面白い。

ジャンル分けがしにくい小説である。
CIAだ、KGBだとスパイが登場し、
サスペンス感たっぷりの巻き込まれ型の人間ドラマか思えば、
後半「予知能力」というSF的なガジェットが登場し、
それをリアルに説明するのに数学、確率論、量子力学まで衒学的な説明が飛び交う。
それらが乱れながらも展開してゆき、ラストでちゃんと集束されるところがお見事。
読後、良質な脚本のハリウッド映画を1本堪能したような気分になれる。
個人的には理系学部を卒業しながらも、数字嫌い。
映画に小説、音楽……と今でいう文系男子の典型。
その反面、徹底した合理主義的な数値化できる世界は嫌いではない。
不可解で混沌とした現世界を理解するために手っ取り早い手段が数字しかないのだ。
例えば、コーヒー屋をやっていて、
決して「おいしさ」は数値化して測ることはできないけれども、
来店数や売上金額は数字として測定可能である。
「数学的にありえない」で鍵となっているが量子力学。
講義で学んだことはないけれども、
エントロピーもシュレーディンガーの猫も小説で知った。
数学なのにどこかしら哲学的で、宗教的。
原理原則に貫かれ、現象面全てが数値化できる世界のはずが、
実は不確定に歪み、崩壊している様は興味深い。
この作品はどこかしらディック的(アメリカのSF作家P.K.ディック)である。
予知能力も彼の十八番のガジェットであり、
伏線や複数視線の物語が並行してすすみ最後に収束される展開、
叙述的などんでん返しなど巧みに引き継いでいる気がする。
余談だが実は「
シュレーディンガーの猫」はチッポグラフィア開業前の店名候補未遂のひとつである。
別に量子学的なカフェを目指していたわけではなく、
猫好きで何となく意味ありげで語呂が良いからというだけ。
折角なので、カフェ「シュレーディンガーの猫」を想像してみる。
絶対看板猫はいるだろう。
シャムとかペルシャとか、愛想のない洋猫が営業中は一等席に陣取って、
一日中居眠っていそうである。
ありきたりで平凡な名前を持ちながらも、店名のため
お客にはひたすら「シュレーディンガー(通称“シュレちゃん”)」
とか呼ばれているかもしれない。
猫以上に愛想がないのが店主。
メタルフレームの眼鏡に無精髭、
極端に口数の少ない寡黙なおやじである。
必要なことしか口にせず、
店名の由来とか尋ねたら逆に睨まれそうだ。
陽光の合わない薄暗い店内には、
終日コルトレーンやフリージャズとかがごうごう流れていそう。
メニューはコーヒーのみ。
絶対ネル。
エスプレッソはもちろん、
ペーパーフィルターなどコーヒーじゃない!と力説される。
弛緩できない張りつめた空気はいささか面倒くさいのだが、
コーヒーだけは確かにうまい。
それ故、時々あの濃厚で実存的なコーヒーを楽しみたくなり、
「シュレーディンガーの猫」へと足を運ぶ。
いつか看板猫が気まぐれで心を開き、
突如としてじゃれつく姿を密かに夢見て……。
そんな行きつけのコーヒー屋があってもいいかもしれない。