焼くな!煎れ!
コーヒーに関するすべてを河野雅信氏より教わりました。
コーノ式の総本山、珈琲サイフォン株式会社の代表取締役社長です。
コーヒーや料理の世界でよく言われる「独学で」「独自の研究で」などがあまり好きではありません。
何となくそれは我流で好き勝手にやってるだけのような気がするのです。
自分はそれほど他を凌駕する個性的なことをやっているわけでも、
そんな天分に恵まれているわけでもありません。
かつて開業を決めた時点から試行錯誤が始まりました。
いわゆるコーヒーマニアではなく、何の知識や経験の蓄積もなく全くのゼロからのスタートでした。
いろいろな店を、いろいろなセミナー(講座)をまわり、
結果出会ったのがコーノ式珈琲塾。
それはこれまでの生涯で飲んだ最良の一杯のコーヒーでした。
基本はこの味わいを自分なりに再現、
そして提供することを目指して、日々これに立ち返りながら模索が続いています。
コーノ式珈琲塾で叩き込まれたことがあります。
コーヒー豆は焼くものではなく、煎るものだということ。
皆様もゴマは「焼き」ませんよね。「煎り」ますよね。コーヒー豆も同じことです。
単なる語彙の問題なのですが、習い始めに覚えた言葉が「煎る」のため、
「豆を焼いた」「深焼き」「焼き具合」などと表現されるとどうも気になるのですね。
確かに意味は伝わるので、どうでもよいことですが、
いささか偏屈な性向なので気になってしょうがないのです。
同様に気になるのがコーヒー抽出時によく使う「蒸らす」という言葉。
粉にお湯を注いで置いておくのがどうして蒸すなのかが全く不明。
マニュアルに表記されているやり方では蒸れません。
辞書によると「蒸す」とは水蒸気で食品を加熱する調理法。
水蒸気は注湯した粉面から上に立ち昇っているはずなので、
コーヒーフィルターに蓋でもすれば確かに蒸せるかもしれません。
でも猫も杓子もお湯を注いで、置いておくことが「蒸らす」らしい。
これもコーノ式で叩き込まれました。
もちろん皆様はお好きに焼くなり、蒸らすなりしていただいて結構です。
チッポグラフィアでは決して焼きません、蒸らしません。
あああ、今日もいつもの「だからどうしてん!」ネタでした。
コーノ式の総本山、珈琲サイフォン株式会社の代表取締役社長です。
コーヒーや料理の世界でよく言われる「独学で」「独自の研究で」などがあまり好きではありません。
何となくそれは我流で好き勝手にやってるだけのような気がするのです。
自分はそれほど他を凌駕する個性的なことをやっているわけでも、
そんな天分に恵まれているわけでもありません。
かつて開業を決めた時点から試行錯誤が始まりました。
いわゆるコーヒーマニアではなく、何の知識や経験の蓄積もなく全くのゼロからのスタートでした。
いろいろな店を、いろいろなセミナー(講座)をまわり、
結果出会ったのがコーノ式珈琲塾。
それはこれまでの生涯で飲んだ最良の一杯のコーヒーでした。
基本はこの味わいを自分なりに再現、
そして提供することを目指して、日々これに立ち返りながら模索が続いています。
コーノ式珈琲塾で叩き込まれたことがあります。
コーヒー豆は焼くものではなく、煎るものだということ。
皆様もゴマは「焼き」ませんよね。「煎り」ますよね。コーヒー豆も同じことです。
単なる語彙の問題なのですが、習い始めに覚えた言葉が「煎る」のため、
「豆を焼いた」「深焼き」「焼き具合」などと表現されるとどうも気になるのですね。
確かに意味は伝わるので、どうでもよいことですが、
いささか偏屈な性向なので気になってしょうがないのです。
同様に気になるのがコーヒー抽出時によく使う「蒸らす」という言葉。
粉にお湯を注いで置いておくのがどうして蒸すなのかが全く不明。
マニュアルに表記されているやり方では蒸れません。
辞書によると「蒸す」とは水蒸気で食品を加熱する調理法。
水蒸気は注湯した粉面から上に立ち昇っているはずなので、
コーヒーフィルターに蓋でもすれば確かに蒸せるかもしれません。
でも猫も杓子もお湯を注いで、置いておくことが「蒸らす」らしい。
これもコーノ式で叩き込まれました。
もちろん皆様はお好きに焼くなり、蒸らすなりしていただいて結構です。
チッポグラフィアでは決して焼きません、蒸らしません。
あああ、今日もいつもの「だからどうしてん!」ネタでした。
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